2012年1月8日日曜日

『東のエデン』を振り返って

一昨日、昨日とニコニコ生放送でアニメ『東のエデン』
が放送されていました。
作品は当時ほぼリアルタイムで観ていたため
ニコ生では観なかったのですが
あらためておもしろい作品だったな
と思ったので考えを書き出してみることにしました。



作品自体というか
ストーリー構成自体にはやや不満に思うところもあるのですが
(特にラストを映画二本にするっていう方法はどうかと思います)
ただこの作品は
その時代にその世代の主人公たちがこうした行動を起こした
という事実を
作品としてそのタイミングで作ったことにすごく意義がある思っています。
(指示語ばかりですみません)

僕は彼ら主人公たちと同じいわゆる「ゆとり世代」
案の定就職氷河期と直面しています(僕の場合は自己責任ですが)

神山監督もどこかで言っていましたが
「今の若い人たちは昔の若い世代よりも存在感を示すことができない」
「何か一矢報いるような方法を示したかった」



2012年の新成人は122万人・過去最少値

例えば人数からもそうです。
民主主義社会では数は力です。
僕らの世代は上の世代に絶対に勝つことはできない。
歳をとった人間たちが権力や富を持つというのは必然的なことです。
しかしながら今の若い世代は
上の世代が作った様々な意味の負債までも背負いこむことになっている。
僕らの世代までもが先送りにすることは不可能だと思われます。
「先に可能性・富を食いつぶされた」
みたいなことを思っている人間も少なくないはず。
(「甘ったれんなゆとり!」にもまた共感することも多いですけども)

そこでこの主人公たちが
自分たちで「新たな価値」を生み出し
大人たちにある意味で一矢報いようとするのですが…

そこの部分にはすごく感化されましたし
どこか「俺も一矢報いてやりたい」
と思わされたのでした。

さらにこの作品の面白いところは
「上の世代ふざけんなー!」
「あがりを決め込んだオッサンたちに蹴りをいれろー!」
だけではなく
上の世代の人間の主張がキチンと盛り込まれています。

終盤のMr.Outsideのセリフ

「私たちの世代だって右も左も分からない中でがむしゃらにがんばってきた。
しかし世界は変わった。
今になってそれが間違いだと言うのは酷ではないか」


というようなことを言います。
これもまたひとつの事実であると思うのです。
誰もこういった世の中にしたいと思ってきたわけではありません。

きっとこの作品を作ってる時
監督含めスタッフの方々は日本はどうすればいいのか本気で考えたはず。
そして視聴者もこのフィクションを通して
どうすればいいんだろう
と本気で世の中を考えたはずです。
そういった意味で『東のエデン』は素晴らしいと思っている次第です。


~~~~以下しばらく蛇足~~~~

ただ少しひねくれた考え方すれば
この作品を作ったのが
神山監督をはじめとしたおじさん世代
(本格的に失礼ですね。ごめんなさい!大好きなんですよ本当は!)
そして放送させたのはテレビという旧メディア
だということ
多分世間からみたらすごく若い世代だと思うのですが
僕らの世代からすると上の世代であることは事実です。
そしてテレビというのは僕らにとってはもう古いメディア。
ある意味上の世代に「お膳立て」をしてもらったような印象があります。

ここまで望むのはとんでもない贅沢かもしれませんが
この作品自体が僕らの世代によって作られ
現実にある意味で「大人」たちに一矢報いる存在であったなら
めちゃめちゃ面白い現象だったんじゃないかな
と空想してしまいます。


ただ僕らの世代にこの作品は作れなかったと思います
上記のMr.Outsideの話もそうですし
作品で描かれる「大人」と「子ども」
の間の世代である神山監督らだったからこそ作れた作品なのではないでしょうか。

なんだか何を言ってるかわからなくなってしまいました笑。

~~~~蛇足終了~~~~




日本の未来は「明るい」20%以下 マクロミル『2012年新成人に関する意識調査』で

「自分たちの世代が日本を変えてゆきたいと思うか」という質問では、「そう思う(25.2%)」「ややそう思う(51.4%)」を合わせて76.6%に上り、昨年の同調査と比較すると8ポイント上昇しています。

上記のニュースにあるように
日本の未来は明るくない
と考えつつも
自分たちで変えていきたい
と考えている若い人々
「迂闊な月曜日」ではなく「東日本大震災」を経験した上でこう考える彼らひとりひとりに100億円を配ることは不可能でも
何かしらの力を与えられる社会であって欲しいと思います。

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