2011年12月17日土曜日

スカイ・クロラシリーズ

スカイクロラシリーズの6冊

『スカイ・クロラ』
『ナ・バ・テア』
『ダウン・ツ・ヘヴン』
『フラッタ・リンツ・ライフ』
『クレィドゥ・ザ・スカイ』
『スカイ・イクリプス』

を読みました。

シリーズ通して特別に「これは面白い!」
と思ったわけでもないのですが
不思議と次々と手にとり読んでしまいました。
不思議な魅力を持つ小説でした。

常に孤独感が漂っていて
それが不思議と心地良かったです。

そもそも読書それ自体は孤独な行為ですので
小説は人の孤独を描くのに向いているように思います。
映画は劇場の中で人と共有するものですが(最近はそうでもないのかも)
本は自分と文字の世界があるだけ。
それゆえ、より自分に目を向けさせられる気がします。

シリーズすべての世界観は共通していますが
物語はすべて繋がっているような繋がっていないような不思議な話。
登場人物は同じようで違ったり
パラレルワールドなの?
と思わせるような思わせないような。

そして読み終わったあとは長い「夢」をみたような気分。
「キルドレ」たちと同じように少し記憶が曖昧になったような感覚。

久々にゆっくり別の世界に浸れてよかったです。

2011年12月10日土曜日

イヤホン

四月から使っていたイヤホン

PHILIPS SHE9700

が断線してしまったため
新しいものを探しに家電量販店に行ってきました。

なるべく低価格なものをいろいろと試聴し
また同じものを買おうかなあと思いつつも
最近生活がマンネリ化しているので
こういうところから少しずつ変えていかねば
と強引な論理を展開し
最終的に

Sennheiser CX270


という機種を購入しました。
なんだか元気のいい音がします。


最近は安いイヤホンでもなかなかの音が聴けて幸せですね。

2011年11月14日月曜日

スカイ・クロラ

森博嗣 『スカイ・クロラ』
という小説を読みました。



これは押井守監督によってアニメ映画化されたものの原作。
私は先にアニメ版を観ていました。
私が唯一リアルタイムで劇場で観た押井作品かもしれません。




映画版を観たのは少し前なのですが
読んでいるうちに共通点、相違点が割とハッキリと観えてきて楽しめました。


共通点で印象的だったのが以下。

三ツ矢碧が函南優一に言うセリフ。

「戦うことは、どんな時代でも、完全に消えてはいない。
それは、人間にとって、その現実味がいつでも重要だったからなの。
同じ時代に、今もどこかで誰かが戦っている、という現実感が、人間社会のシステムには不可欠な要素だった。
それは、絶対に嘘では作れないものなんだ。
本当に死んでいく人がいて、それが報道されて、その悲惨さを見せつけないと、平和を維持していけない。
いえ、平和の意味さえ認識できなくなる。
戦争がどんなものだか知らないのに、戦争は絶対にいけないものだって、そう思い込ませるには、歴史にの教科書に載っている昔話だけでは不十分。
だからこそ、私たちの会社みたいな民間企業が、汚れ仕事を請け負っているわけだよね」


これは映画版でも印象に残っていたシーンで
押井守オリジナルのいわゆる「押井節」のセリフだと思っていました。
しかし原作にそのままありました。
なんとなく『機動警察パトレイバー 2 the Movie』での押井節と共通している部分(平和とは何かを問うなど)があるような気がしたんですが
どうやら勘違いのようでした。
私もまだまだ修行が足りませんね。



相違点で気になったのはラストシーン。

ネタバレになってしまうので書きませんが
原作と押井作品では全く違う結末になっています。
きっとこれは押井氏に何かしらの明確な意図があって変えたものだと思います。
そこを勝手に推測してニヤニヤして楽しんでいます。
この辺の解釈を人と話し合ってみたいです。


映画版を観たとき良い意味で

なんだか何もない映画だなあ

と感じていたのですが
原作を読んでむしろ原作の持つ空気をよく映像化できたなあと驚きました。
この作品は終始独特の寂しさというか孤独感が漂っているように感じましたが
映画版でもその独特の静けさのようなものがありました。
だたひょっとすると映画版の印象が強すぎてそう思い込んで読んだだけかもしれませんが。

『スカイ・クロラ』はスカイ・クロラシリーズとしてあと5冊ほどあるようなので
これからゆっくりと読んでいきたいと思います。

2011年10月31日月曜日

殺戮にいたる病




「異常者」と「健常者」
という言葉を使う時
言葉として使われる時はその定義として
双方を分かつ明確なラインがあるような印象を受けますが
実はそこには
ラインなんてものはなくグラデーションがあるだけなのだというのは分かってます。
自分の中にもそうした悪意や衝動
そういったなにかしらの「獣」のようなものが潜んでいるからです。
樋口が犯人を追う理由としてそこが少しだけ描かれていましたが
読者も同じではないかと感じました。
そういった嗜好だったり衝動が心のどこかにあるゆえ
グロテスクであったり残酷な描写のある作品を手にとったりするのではないかと思います。

3人の登場人物の視点でそれぞれ時系列を少しずつずらして進んでいくのが印象的でした。


しかし上記のような部分はこの作品の持つ一番の魅力とは全く関係ありません。
そこはここには書きたくありません。
傑作でした。
読み終わった瞬間にまた最初のページから読み直したくなる
というのは私にはあまり経験がありませんでした。
この作品を手に取る際は限りなくこの作品について知らない状態であることをオススメします。

原発

原子力、原発のことを少し調べるため

『原発被曝列島~50万人を超える原発被曝労働者~』 樋口健二
『ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ~原子力を受け入れた日本~』 田口ランディ
『原子力と報道』 中村政雄

という本を図書館で借りて読みました。



『原発被曝列島』
元々3月11日以前に書かれた本でその新装改訂版
震災以前から問題が多かった原発労働者のルポです。
ブラック企業の文化と共通するものがあると感じました。

『ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ』
タイトルからも分かる通り震災以降に書かれたもの
日本が原子力政策を進めていくに至った経緯などが分かりやすく書かれていて
とても勉強になりました。
また原発推進派、反対派の議論が成立しなくなってしまうイデオロギー的対立を筆者は危惧していて
その部分は非常に共感できました。

『原子力と報道』
震災以前に書かれた本
今までの原子力に関する報道について書かれた本です。
筆者は比較的原子力を支持している立場で
ところどころにある
「メディアは必要以上に危険性を煽るな」
という主張に今となってはやや違和感を覚えました。
しかし、メディアが原子力を正しく理解せずに報道していた事実は確かにあるな
とは感じました。
何かを正しく理解するというのは非常に難しいことだと感じました。

日本における原子力、原発に関する本はもう少し読んでいく予定です。

2011年10月21日金曜日

俗物図鑑

筒井康隆の『俗物図鑑』という小説を読みました。



とても下品でしたがとてもおもしろい作品でした。
なんだか読みながらすっとしてしまいました。
俗物図鑑というタイトルで
「俗物」であるというキャラクターがたくさんでてきましたが
彼らはちっとも俗物ではありませんでした。

きっと何者にもなれない俗物の私はそう思いました。

すっかり筒井作品のファンになってしまいました。

2011年10月9日日曜日

笑い男

J.D.サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』
という小説を読みました。



この『ナイン・ストーリーズ』は
9つの短編からなる小説で
その中のひとつに『笑い男』
というお話があります。

『攻殻機動隊S.A.C』のファンとしては
読まないわけにはいかないだろう
と思い手にとった次第です。






残念ながら
『攻殻機動隊S.A.C』の中での笑い男と
この『笑い男』に共通点は見つけられませんでした。


『攻殻機動隊S.A.C』には
サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』
の引用やモチーフが多く散見されます。

I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes
(僕は耳と目を閉じ口をつぐんだ人間になろうと考えた)

You know what I'd like to be? I mean if I had my goddam choice, I'd just be the catcher in the rye and all.
(僕が何になりたいか知ってるよね? 僕の馬鹿げた選択は、ただライ麦畑で[子供達を]捕まえる人になりたい、それだけなんだ)

などの引用。

『秘密の金魚』の話

そして笑い男=アオイの被っていた赤いハンチング

などなど。


そういうこともあって
そして『笑い男』のなかにも何か発見があるかなあ
S.A.Cの笑い男=アオイの性格や行動と共通点があるかなあ
などと思っていたのですがそれは考え過ぎでした。

引用したのは
あくまで『笑い男』
というタイトルのみなのでしょうか。

ただ『攻殻機動隊S.A.C』の第10話『密林航路にうってつけの日』は
『ナイン・ストーリーズ』冒頭のお話『バナナフィッシュにうってつけの日』
をもじったものだと思います。
たぶん。

なんにせよ小説自体は不思議な感じがして楽しめました。
またしばらく経ったらライ麦とともに読みなおしてみようと思います。





2011年9月25日日曜日

攻殻機動隊S.A.C.SOLID STATE SOCIETY


『攻殻機動隊S.A.C Solid State Society』の小説版を読みました。

神山監督自らも書いていますのでストーリー自体はアニメ版と変わりません。
しかし小説ならではの特色として
キャラクターの心情がハッキリと言葉で描かれていて面白かったです。
これはやはりメディアの性質の違いだと思います。

映像表現の場合
キャラクターの感情はやたらと言葉で表すものではありませんし
言葉で説明されている作品ほどつまらないものはないと私は思います。
キャラクターの表情、仕草
カメラのアングル
カットを切り替えるタイミング
比喩的な風景描写
などから読み取るものです。

それゆえ作り手の意図したものと受け手が感じ取ったものに
齟齬がでることがありますが
そこがまた映像表現のおもしろいところでもあるのではないかと思います。
(そもそも言語表現でもしばしば起こることですが。)

『攻殻機動隊』の登場人物たちは
みんな硬派であまり感情を表に出すタイプではないかもしれません。
背中で語る的な。
それゆえ面白いんだけど。
だからこそこの小説版はむしろキャラクター
主にバトーとトグサの心情が中心に書かれていて非常に楽しめました。
映像で描ききれなかったものをこちらに書いたのかもしれませんね。

当然ですがアニメ版、小説版で読み取ったキャラクターの心情に違いがあったとしても
それはどちらも正解だと思います。
映像から読み取ったキャラクターの心理もそれはそれで「自分にとっての正解」だと思いますし
小説版に書かれた監督が意図したであろう心情もそれはそれで正解です。
どちらも知って楽しめる作品だと思います。

ただ映像作品を観ずにこれだけを読むのはちょっと違うかもな
とは思いました。

2011年9月20日火曜日

獣たちの夜 BLOOD THE LAST VAMPIRE


押井守さんの小説です。
アニメ監督なのに文章が素晴らしいです。
と思ってたら小説家を志していたこともあるのだとか。
さすが。

才能ある人は別の分野でも才能を発揮したりしますね。

天は二物を与えずなんて大嘘だ!ちくしょう!

というのは冗談ですが
感性が優れているクリエイターは

何を作るにしても
それを発揮するということでしょうか。


やはり押井氏には学生運動の影響が大きかったようです。
学生運動の描写はやはり体験した人ならではの表現だと感じました。

中~終盤に延々と続く
押井節ともいえる哲学的な会話文

良い意味でも悪い意味でも押井ワールドでした。
苦手な人は苦手かもしれません。

他の押井作品を観たときにも感じることですが
ものすごい知識量です。
こういうのを教養というのでしょうか
もっと勉強しとけばよかったなあと思いました。

とても理屈っぽい文章が続きますが
だからこそアニメ、映像ではなく小説で表現したのではないでしょうか。


好き嫌い別れる作品だとは思いますが
私はそれなりに楽しめました。

角川ホラー文庫から出版されていますが
これはホラーではないと思います。



追記

これはメディアミックス作品なのですね
アニメ映画が存在したのを存じ上げませんでした。
BLOOD+
BLOOD-C
も関連作品なのだとか
ひとつくらいは見てみたいと思います。

2011年9月19日月曜日

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

ちょっと前に読みました。
もう定番の本なので
これといって書くことはないのですが
装丁がとてもカッコイイと思いました。

文庫本の装丁は基本的に気にしないのですが
(多くは古本で買いますし)
これは文庫本なのに非常にカッコイイと思います。


2011年9月10日土曜日

蝿男の恐怖

風呂に入りカラダを洗っているとき
左腕の肩
正確に言うならば三角筋のところから
一本だけ毛が生えているのに気が付きました。
それも産毛というよりも
もっとしっかりとしたもの。

特に害があるわけでもありませんが
周りになにもないのに一本だけ毛が生えているというのは
どこか違和感を感じるので
なんとなく抜いてしまいました。

抜いた瞬間
なんだかデジャブのようなものを感じ
これはなんだろうなあ
とずっとぼんやり考えていたのですが
先ほど気がつきました。

『ザ・フライ』
という映画。
主人公が物質転送装置の実験中にハエが入り込み
ハエと融合してしまい…。
というような映画です。


その中で
ハエと融合してしまったことに気がつかない主人公に
最初に訪れる違和感というのが
一本だけ生える毛
だったのです。
たしか。
ああ怖い。

この映画は捉え方によっては
大人の愛の映画
という風に観れるようですが
私には気持ち悪いオカルトホラー映画にしか観えませんでした。

それ以前は気色の悪い映画も
それなりに大丈夫だと自分では思っていたのですが
この映画を観てその考えを改めました。
特殊メイクがとてもリアルで
少しトラウマになっています。

もう少し人間的に大きくなって
この映画を愛の映画として観れるようになりたいな
なんてふと思いました。
たぶんムリ。

2011年9月3日土曜日

ハーモニー

伊藤計劃『ハーモニー』を読みました。
彼の作品は『虐殺器官』のほうが有名かもしれませんが
私は『ハーモニー』のほうが気に入りました。

直接的には描写されていませんが
虐殺器官で描かれた世界のさらに先の世界を描いた作品です。

大災禍のあとに作られた高度な福祉厚生社会。
誰も病気で死ぬことがなくなった世界。 
そうした世界を伊藤計劃氏が亡くなる前に病床で書いていたと思うと
なんともいたたまれない気持ちになります。

とても素晴らしい作品でした。

『虐殺器官』、『ハーモニー』の二作を読んで感じたのは
面白い設定とリアリティから作られる圧倒的な世界観があれば
特別に豊かな感情描写などがなくても
作品として十分に成立するということです。
勝手に自分の想像でそのへんは補完してしまします。
むしろそれが作品をさらに面白くするような気がします。

巻末の解説にもありましたが
切実なロジックが、キャラクターを介して、切実なエモーションを産み落とす。
その通りかもしれません。


追記: 
ふと思ったのですが
SF要素のある作品を読んで共通して感じるのは
やはり人間の行き着く先は意思の消滅なのでしょうか。
そういう作品が多いうような気がします。 

精神と肉体の分離 → 精神のみによって成立(肉体の消滅)or 個の消失(精神の消滅)?

2011年8月24日水曜日

千年の土産

アニメ監督今敏氏の展覧会

今 敏 回顧展「千年の土産」

に行ってきました。

あまり大きくない会場で
展示されていた作品数も
そんなに多くはありませんが
行ってよかったと思いました。

今敏氏がポスターやら
ジャケットやら
雑誌のために描きおろしたイラストは
すでにどこかで観たことあるものが多かったですが
やはり画面で観たよりも非常に色が美しいように感じました。

そして漫画家時代の作品の生原稿も展示されていました。
今は漫画もデジタルで描く人が多くいらっしゃいますが
今敏氏が描いていたときはすべてアナログ。
ゆえに修正したあとや
スクリーントーンのシワなども見えて
なんだか感激しました。

また今敏氏が使っていた
ペン
メガネ
動いたままのストップウォッチ
が展示されていたのも印象的でした。

現在製作中
(いや止まってるのか)
新作の
『夢見る機械』
のキャラクターのイラストもいくつかあって
改めて
必ずいつか完成させて欲しいと心から思いました。

今日は今敏の命日。

2011年8月23日火曜日

精神

想田和弘氏のドキュメンタリー映画
『精神』
を観ました。



前作の『選挙』と同様
ナレーションやテロップのない正統派ドキュメンタリーでした。

ドキュメンタリーは観るとき体力、集中力も使うのですが
やはり見ごたえがありました。

人のココロって何なんでしょうね。



そして個人的にカメラの力みたいなものを感じました。
カメラはもちろん目の前の映像を映しますが
同時に撮影者の人柄、想いも映します。
それを改めて実感しました。

2011年8月21日日曜日

REDLINE

REDLINEというアニメ映画を観ました。
DVDで。




とても楽しめました。
あまり絵柄が好きではないので
正直期待していなかったのですが
そんなこと気にならないくらい
自由でトガッた映像だったので
エンターテイメント作品として非常に楽しめました。
やはりアニメでの映像表現って自由ですね
これは映画館で観たかった。


これキャストも有名な方多いですし
ずいぶんとお金もかかっているように見受けられます。
公開当時もう少し話題になってもよかったと思うのですが
どうなのでしょう。
当時僕は今ほどはアニメに興味がなかったので
話題をキャッチできなかっただけかもしれません。
いや、でももっと話題になってもよかったはず。
だってキムタクと蒼井優と浅野忠信ですぜ。
バンバンCMとか打ってもよかったはず。

ぴあの満足度ランキングは1位だったそうですが
こういうアニメを観に行くお客さんは
割と理解があるといいますか
元々アニメを楽しめる感覚をお持ちの方が多いと思うので
あまり参考にはならないような気がします。

もう少しジブリ、ピクサー以外のアニメが
いわゆるオタク層やアニメファン以外にも
もう実写と別け隔てなく普通にデートとかで鑑賞されるようになって欲しいなあ
とぼんやりと思ったりします。
なってるのかなあ。

2011年8月16日火曜日

今敏『海帰線』

今敏『海帰線』
という漫画を読みました。
今敏監督のアニメ作品は好きでいちおうすべて観ていましたが
恥ずかしながら漫画は始めて。




なかなか楽しめました。
ただ作画やらレイアウトにこだわり
それだけで作品となるくらい緻密な絵コンテを書く
今敏氏にしてはやや絵が荒くないか?
と感じましたが
それはあとがきに書いてありましたw
連載ってのは大変なんですね。

絵コンテの例


話はちょっと変わりますが
今敏氏の作品と同様に今敏氏の文章も好きです。
真面目でありつつもユーモラスな感じ。
そして日本語がきちんとしています。
最期の遺書も壮絶でした。
人柄が出ています。
見習いたいものです。

私の眼には漫画とアニメの間に
特別な類似点みたいなものは見つけられませんでしたが
(もちろん表情だったりキャラクターデザインだったりはあるけども)
漫画としてもけっこう好きかもしれません。

今敏氏は短編の漫画がたくさんのあるようです。
もっと読んでみたくなりました。

現在
今敏回顧展「千年の土産」
なるものがやっているそうです。
来週までなので時間を作って必ず行こうと思っています。

2011年7月18日月曜日

七瀬ふたたび

『七瀬ふたたび』

を読み終えました。
これで七瀬3部作と呼ばれる

『家族八景』
『七瀬ふたたび』
『エディプスの恋人』

をすべて読んだことになります。



前にも書きましたが
これちゃんと時系列準に読めばよかったです。
私が読んだのは

家族八景
 ↓
エディプスの恋人
 ↓
七瀬ふたたび

の順です。

三部作とはいえ
それぞれテーマが違って独立しているといえばしているのですが

※ネタバレ※

テーマは
家庭(家族)

国家(というか世の中?)

神(世界?)

七瀬の変化だったり
テーマの大きさというか展開として
やはりちゃんとした順番で読むべきですね。
衝動買いの弊害。


でもなかなか楽しめました。
この三部作で一番好きなのはどれか
と考えると私の場合は
『家族八景』
でしょうか。

バンドやらなんやらでなんでもかんでも
「やっぱファーストだよな」
「初期衝動がむにゃむにゃ」
とかいう人と同様の心理でこう考えているわけではありません。
単純に
人の描きかた
人の心理の描きかたが一番好きですし
やはり家族というテーマはリアリティがあるなあ
と個人的に感じたからです。

これからも筒井作品にもっと手を出してみるつもりです。



なんだか読書ブログのようになってますね。
意図してそうしているのではなく
他に書くようなことをしていない
というのが実情です。
大いに不本意です。
もっと毎日をおもしろくしなければ。

ただこういう風に何か作品に触れたときは
自分なりに消化しなんらかの形にすることが
けっこういいらしいと聞いたので
これからも続けているつもりです。

2011年7月14日木曜日

エディプスの恋人




同著者の『家族八景』
という小説を読みなかなか楽しめたので
同じ主人公の火田七瀬が出てくる小説である
と裏表紙にかいてあったこの本を
某中古書店にて¥100で購入しました。

なんだか不思議な話でした。
最初はややミステリー的なお話かと思いきや
最後はSF的な。
でもとても楽しめました。

やや残念であったのは
『家族八景』からこの『エディプスの恋人』の間にも
(実際の発売順は分かりませんが少なくともストーリーの時系列順には)
火田七瀬を主人公とした作品があるようです。
最後にそういった描写がでてきて
なんじゃこりゃ
となってしまいました。
そっちを先に読むべきでした。
残念。
衝動買いですのでしょうがないです。

恐らく私は
このブログを更新したらブラウザから新しいタブを開き
すぐにその作品調べて手帳にメモすることでしょう。

筒井康隆作品にとても惹かれ始めました。


こういう文字での表現方法が面白いと思いました。

2011年7月12日火曜日

未来のイヴ



『未来のイヴ』という小説を読みました。

以前から探していたのですが、なかなか古い本なので本屋で入手できず
密林の奥地から届けていただこうと思いましたが
大学の他キャンパスに所蔵されていたため取り寄せました。

読もうと思ったきっかけは
押井守監督作品
『イノセンス』
に大きな影響を与えたと知ったからです。

イノセンス

読んだ感想ですが
まず、旧字体で書かれていたため非常に読みづらかったです。
これは単純に私の教養の問題。
いやん。

イノセンスに大きな影響を与えた
とありましたが
私にはどの辺が影響を与えたのかイマイチ分かりませんでした。
唯一の共通点といえば
やたらと引用をする
という点でしょうか。
(あと分かりにくいという点でしょうか。なんつって)

むしろ
情報生命体
といいますか
物質から離れた生命といいますか
生命は肉体ではなくもっと遍く存在しているような描き方をしていて
「生命とは何か」
を問いかけている点では
むしろ攻殻機動隊の原作(士郎正宗氏の漫画)に大きな影響を与えているのではと感じました。
イノセンスは「生命とは何か」よりも「なぜ人間は人形を作るのか」
を問いかけた作品だと僕は感じています。

『未来のイヴ』が最初に
アンドロイド
(文中では「人造人間」という文字に「アンドロイード」というふりがなで表記)
という名称を初めて使った小説であるようです。
すごいですね。
それがまさかスマートフォンのOSの名前になるとは。
きっとヴィリエ・ド・リラダン氏もびっくりでしょう。


文章が難しいのもあって
理解できないところも多々あったように感じます。
ほとんどが会話文で成り立っていて
同じような論旨のセリフを繰り返すことも多く
読むのに非常に時間がかかりました。

もうすこし
こういうSFといいますか
身体とか生命について描かれた作品に触れてから
もう一度読んでみたい
いや、でも読むの大変だったらもう二度と読みたくない
というアンビバレンスな気持ちです。


押井守氏が一体どの辺に影響を受けたのかもうちょっと調べてみたいです。





追記:
『イノセンス』で暴走した少女型のアンドロイド→ハダリ
『未来のイヴ』に出てくるアンドロイド→アダリー
これは確実に引用だと思います。

2011年7月11日月曜日

2011 上半期観た映画

7月になってしまいましたね。
時が経つのは早いものです。
嫌になっちゃいますね。

ということで今年上半期で観た映画

『ビン・ラディンを探せ』
『クローバーフィールド』
『アメリカン・グラフィティ』
『トーク・トゥ・ハー』
『ウォール街』
『PATLABOR THE MOVIE』
『PATLABOR 2 THE MOVIE』
『人狼』
『告白』
『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』
『ライフ・イズ・ビューティフル』
『スラムドッグ・ミリオネア』
『バタフライ・エフェクト』
『レスラー』
『荒野の1ドル銀貨』
『攻殻機動隊S.A.C Solid State Society 3D』
『エレファント・マン』
『ミッドナイトエクスプレス』
『その男、凶棒に突き』
『亀虫』
『バーディ』
『ガタカ』
『リベリオン』
『未来世紀ブラジル』
『グッドフェローズ』
『かいじゅうたちのいるところ』
『第9地区』
『鉄男』
『ロジャー&ミー』
『Love Letter』
『Kick Ass』
『星を追う子ども』
『ロスト・イン・トランスレーション』
『老人Z』
『アヴァロン』
『MEMORIES』
『父親たちの星条旗』
『硫黄島からの手紙』

こんな感じです。
もう少し多くの作品に触れたかったですがなかなか上手くはいきません。

意識的に押井守関連の映画を観ました。
特に『うる星やつら~』
がなぜ名作と呼ばれるかも分かりましたし
『PATLABOR~』を観て『攻殻機動隊』に至った過程というか
共通した演出などがなんとなく分かって感動しました。
やはり映像がカッコイイ。

あと個人的に『人狼』が好きでした。

実写映画ではやはり
『ライフ・イズ・ビューティフル』
は名作だと感じました。
名作と呼ばれる作品で観ていないものがまだまだたくさんあるので
それも消化していきたいです。

残りの学生生活も少ないですし
下半期もなるべく多くのいい作品に出会いたいなあと思います。
ぜひオススメを教えてください。







2011年6月7日火曜日

虐殺器官


『虐殺器官』という小説を読みました。

これは普段まったく小説を読まないという友人がえらく
「気に入った!!!」
と言っていたので読んでみました。
本屋に行って探してみたらポップがあったり
カバーには伊坂幸太郎などの著名な作家の推薦文があったり
けっこう話題になった作品だったのですね。
文芸業界はとんでもなく疎いので
まったく無知でした。
お恥ずかしい。

感想。
なるほど、という感じ。
率直に言って
カバーに書かれているほどの衝撃は私は受けませんでした。
Amanonなどでも評価は高いので
たぶんこれは私の感性がちょっとアレなのだと思います。

うまく説明できませんがこれは私が思う
いわゆる「小説」ではないのではないか
と感じました。
もっと現実に近い
というか
お話を読んでるのにお話よりも現実社会の諸問題が頭に次々に浮かんできて
ストーリーよりも現実の方に目がいってしまいます。
ジャンルとしてはSFなのでしょうが
ファンタジーのはずが現代の世の中の構造を鋭く指摘する文に思えてきました。
(いやそもそもSFってけっこうそういうものなんですけど…うまく言えない。)

ただ個人的にはこれは東日本大震災の以前に読んでおきたかった。
と思いました。
「当たり前の日常」の中でこの作品と手にとり
「当たり前の日常」の裏にある世界に思いを馳せることができれば
もっと感じるものがあった気がします。
日常が壊れる経験
(といっても私は東京でぬくぬくと暮らしているわけですが)

日常がいつ壊れてもおかしくないということさえ想像もしていない日常

を破壊された経験の直後だとなんというか
衝撃が軽減されてしまったように感じました。

「小説」として特別好きな作品ではないですが
「作品」としては気に入りました。
読み応えがありました。

解説を読むと著者の伊藤計劃さんはもうすでにお亡くなりになっているようですね。
病魔と闘いながら書いた『ハーモニー』も読んでみたいと思いました。

2011年6月5日日曜日

放浪息子

風邪で寝込み
『恋文の技術』を読んでいたとき
『放浪息子』
という漫画も読んでいました。



これは今年の1~3月にかけてフジテレビのノイタミナ枠でアニメとして放送されていたものの原作の漫画です。
アニメは
水彩画のような淡いタッチ
絶妙な間のとり方
詩的な美しい映像表現
思春期の男女の繊細な心の機微を描いた素晴らしい作品でした。

アニメを見てとても感動したため
原作も読んでみました。

アニメと漫画では設定が若干違ったりもしましたが
漫画も素晴らしい作品でした。

この作品は
女の子になりたい男の子と
男の子になりたい女の子と
その友達たちの日常を描いた作品なのですが
特徴的だなあと思うことがいくつかあって

・「性同一性障害」、「トランスジェンダー」といった用語を使っていないところ。

作品として強いメッセージを持った「社会派」な作品にはしていません。
あくまで日常として描いていました。


・トランスジェンダーが受け入れられている設定

恐らくトランスジェンダーを扱ったフィクションは
トランスジェンダーを持った主人公が世間から受け入れられないところからスタートし
問題提起をしていきながら徐々に周囲に受け入れられていく
というのが定番だと思うのですが
この作品では
主人公である「女の子になりたい男の子」 
二鳥修一は
「男の子になりたい女の子」である
高槻よしの
と出会い、また
お話が性を意識しない小学生からスタートするためか
すんなりと受け入れてくれる友人ができます。
そこからお話がスタートします。
これって珍しいのでは?

あと細かいところですが漫画では
「好き」という言葉を必ず
「すき」
とひらがなで表記しています。
これもおそらく意識的なことかと。


この作品を観て、読んでいろいろと気付かされることがありました。
たとえば
なんで女の子は男の子の服を着ても(そんなに)おかしくないのに
男の子は女の子の服を着たらおかしいのでしょうね?
意識としては分かってもこれってなかなか説明できません。
性というのはやはりおもしろいテーマです。

この作品の連載はまだ続いていて
今主人公達は高校生になってるようです。
(ちなみにアニメは中学入学から中2の文化祭のみを描いていました。
これが素晴らしい。)
主人公達はどうなっているのでしょう?
どうなっていくのでしょう?
今後も続きを追っていきたいと思います。

2011年6月4日土曜日

MEMORIES

大友克洋監修の
『MEMORIES』
というアニメ作品を観ました。

いちおう短編集という扱いになるのでしょうか?
3つの作品から構成されていました。

ちなみにこれ今チラチラと調べながら書いているのですが
これ95年に劇場公開された作品だったのか!
だとするとすごいですね。

ちなみに95年というのは
阪神大震災があり
地下鉄サリン事件があり
エヴァンゲリオンが放送開始された年でもあります。
なかなかすごい年なのでは?



ひとつ目の作品が

『彼女の想いで』

原作 大友克洋
脚本・設定が今敏
となっています。

以前もどこかで書いたかもしれませんが
私は今敏監督の作品が好きです
なので
TSUTAYAでこの作品を目にし
パッケージの裏に彼の名前を発見しレンタルしたのでした。

ネタバレになるので内容は書きませんが
これまた今敏氏らしく
「夢と現実」
がモチーフになっている作品でした。
(ただ原作が大友氏の漫画らしいので考えすぎかも。原作読んでみたい。)
「思い出は逃げこむ場所じゃない」
というセリフが印象に残りました。
お話としては特にひねりのない話なんですが
けっこう好きでした。
キャラクターデザイン、作画も好きです。


ふたつめが

『最臭兵器』

これはコメディ作品でした。
これはこれで馬鹿らしく(いい意味
けっこう笑えて楽しめました。
あっさりした短編らしいオチでした。
でもアクションというか戦闘シーンはかっこいい。



さいごは

『大砲の街』

これは上2作品とは違ったタッチの独特のアニメーションでした。
カットのつなぎ方も不思議な感じがしましたし
カメラの動き(アニメにカメラはないんですが)も独特なものに感じました。
デジタル技術も多様してると思います。
台詞も少なくお話はちょっと私には分からなかったのですが
世界観は嫌いじゃないです。
wikiにもありますが『スチームボーイ』の原点になったとか。
うーん
とても評判の悪い『スチームボーイ』
やっぱり観たほうがいいかな。


3作品を一気に見て思ったのが
短編ていいですね
ということ。
お話が短いぶん世界観を把握するのがなかなか大変だったりするのですが
それをいい意味で捉えれば説明くさくならない。
そして情報量が少ないゆえにシンプル
観ているの私たちの想像力を刺激します。
無駄な要素もなく
一番大事な部分がよく見えてくる気がします。

こういうオムニバスの劇場作品今ももっとあってもいいのになあと思いました。

2011年5月8日日曜日

恋文の技術

先週から風邪をこじらしてしまい
家で寝こんでいました。
体調が悪いとは言えただ寝こむだけでは退屈なので
本や漫画を読んでいました。


森見登美彦

『恋文の技術』

という本を読みました。



相変わらずの登美彦節で
とてもとてもくだらなかったです。

この小説はちょっと変わっていて
文がすべて手紙という体で書かれています。
だから気分としては人の手紙をのぞき見ている感じ。
それゆえの面白さがたくさんありました。

こういう小説を
書簡体小説
と呼ぶようです。
恥ずかしながら初めて知りました。
他にもこういうスタイルの小説を読んでみたいなと思いました。
夏目漱石のはおもしろいらしい。

2011年4月25日月曜日

無印良品ブックカバー

無印良品のブックカバーを買いました。
正式名称は

ジーンズのラベル素材で作った文庫本カバー

¥315
すばらしい。

本当にジーンズのラベルの素材でできてます。
いちおう紙なのかな?

とても肌触りがよいです。
おかげて不思議と読書が捗るようになりました。

本の価値は中身にある
本なんてとっとと全部電子化してしまえ
くらいに思ってたのですが
撤回。
モノの素材感ってけっこう影響するみたいです。

これがあればいつでもどこでも
どんなに恥ずかしい本でも読めます。
ぐへへ。

2011年4月22日金曜日

レディ・ジョーカー

『レディ・ジョーカー』という小説を読み終えました。

この作品を知ったきっかけは
たぶん攻殻機動隊S.A.Cシリーズです。

攻殻の脚本を担当した方が
シリーズを考える際にこの作品を参考にした
とDVDのおまけ映像の中でおっしゃっていたような。
かすかな記憶ですが。
(攻殻を観ていた日の手帳の端っこに「レディ・ジョーカー」と書いてあるのでおそらく)

この作品は実際にあった
グリコ森永事件
という事件をモチーフにしています。

95年にグリコ森永事件のような企業テロが起こり
それに関わる人々を描いた作品です。

私は80年代終盤の生まれなので
実際のグリコ森永事件に接触していませんので分かりませんが
実際にあった事件をモチーフにしただけあって
とてもリアリティがあったように感じます。

大企業の中でのやりとり
警察内部の思惑
政治家や政治団体、暴力団のつながり
政官財の関係
などなど
これ現実じゃないの?
と思ってしまうほど綿密に描かれた作品で
とてもとても楽しめました。

登場人物も多数出てくるのですが
誰の思惑通りにならないといいますか
それぞれが参加し形成しているにも関わらず
誰にもコントロールできない
世の中の「システム」の怖さ
みたいなものを感じました。


攻殻が参考にしたというのはおそらくですが
企業テロとその模倣犯
それをコントロールし儲かる人々
などの設定でしょうかきっと。

攻殻の笑い男には
事件を起こす青臭い動機が存在しましたが
レディ・ジョーカーの犯人たちには
きっかけ(引き金)があるにはあるのですが
決定的な動機が存在しません。
僕はそこがリアルでとてもおもしろいと感じました。

世の中なにか大きな事件、残酷な事件が起こると
どうしても
「犯人はどうしてこんなことをしたんだろう」
と思ってしまいます。
しかしその中に本当に論理として説明できる
明確な動機があるものは一体どれほどなんでしょう。
きっとこういう風に
きっかけはあるが動機はない
みたいなことってけっこうあるのではないかなと思いました。
自分の過去の行動なども含めて。

世の中で起きてる色々なことが関係して
お互いに影響しあって
色んなものが積み重なって
それがピークに達して起こる
みたいな

それを端的に表すと
「なんとなく」
になってしまうのかも。

とても読み応えがあって面白い小説でした。

2011年4月21日木曜日

でも

ちょっと前に書いた文ですが
アップしてませんでした。



4月10日

高円寺で行われた反原発デモに参加してきました。

そもそも
正直なことをいうと僕はそれほど強く
「反原発」
というイデオロギーを持っているわけではありません。

すぐに止めるのはさすがに無理そうだけど
さすがにこんだけ大きい事故起こった(起こり続けている)んだから
今後今回の事故のリスクを考慮しての運営・建設のコストパフォーマンスを考えると
原発ってそれほどCPがいい発電方法ではないのでは?
長期的な視点で考えてこれを期にそろそろエネルギー政策転換すべきじゃね?
さすがに最終処理方法がいまいち確立できてない方法は
やはり世代間格差を今後作りかねないのでは?
ただちに原発の代替手段があるとは思えないけど
せめて原子力関連の開発に使ってる予算を
もう少し再生可能エネルギーの研究のほうに回しませんか?

ぐらいなものです。
ただこれも単純にカテゴライズしてしまうと
「反原発」
となってしまうのでしょう。

なので積極的に行動に参加するつもりはなく
そういった微弱な意思表示と並行して
ustreamの実験
写真の撮影
というのが本当の目的でした。
野次馬根性だと言えます。
ごめんなさい。



良かった点

やはり政治的な意思を
投票行動以外の方法で示すことも大事なのでは?
と常々思っていました。
やはり民主主義である以上国民が政治に積極的に関わっていくべきだと僕は思うのです。
今回の都知事選にしても投票率は50%以下
これってやはりよくないのでは
と思ってしまうのです。
ならば政治に関心がない人に
関心を向けてもらうには単純に
「選挙行け」
だけでは駄目だと思います。
ならば
「この問題をなんとかしろー!」
って街で有名人や知り合いなどが訴えていたら少しでも関心が向くと思うのです。
なので僕はもっと気軽にデモが行われる社会になったらいいな
と思います。
もちろん安全な方法で
出来うる限り他者に迷惑をかけない表現方法で
というのが前提です。
ただ表現というのは必ず誰かを傷つけてしまうものなので
せめてそれを自覚だけはしておくべきですが。

ただ今までの日本のデモでありがちだったのは
(僕の印象ですが)
どうしてもどこかの政治団体や
イデオロギーをもった集団が主催で
デモに便乗して自分の団体にとりこもう
としているような印象をうけるものばかりでした。

デモの争点となっているテーマについてはその団体と同じ考えでも
デモ行動を見た人にその団体と同じだと思われてしまうのは
正直嫌だという人も多いのではないでしょうか
少なくとも僕はそう。

そういった意味においては今回のデモは成功だったと思います。
もちろん右翼系の方やプロ市民
なんらかの特定のイデオロギーを持った団体の方もいらっしゃいましたが
今回のデモはそうではない方が多かったように感じます。
ただその裏返しとして統制が取りにくいという欠点もありますが。


悪かった点

指導者が不在であったためかバラバラ。
もちろん主催は素人の乱の方なので
ちゃんと存在はしていたのですが
なかなかルート通りに進まなかったり
参加者がルートを把握していなかったり
マナーが悪かったり
道の通行を塞ぐことになり
結果として警察や地元の方に
多大なる迷惑をかけてたように感じました。

ゆえに僕は興ざめして途中で抜けてしまいました。

しかしその後は比較的順調に行われたそうな。

もちろん予想外の大人数になってしまったことが原因だと思われますが
「超巨大反原発ロックフェスデモ in 高円寺」
と名づけて行うのであればもう少し管理・運営をしっかり行うべきでした。
「予想外の事故」が起きたことがきっかけで起こすデモなんですから
「予想外」という言い訳は使うべきではないと思います。
具体的な方法としては
参加者へのルートの周知や
他者へ迷惑をかけない注意事項の周知
地元の方への事前説明、事後処理など
でしょうか。


まとめると
デモという行動の可能性を感じつつも
その欠点も多く目についてしまった一日でした。


「悲劇から学ぶのは悲しいが
悲劇から学べないのはもっと悲しい」


今回の出来事から学び次につなげていって欲しいと思います。

僕もエネルギーのことだったり世の中のことをもっと勉強せねばです。


2011年4月7日木曜日

ずっとウソだったんだぜ

いろいろ賛否はあるかと思いますし
日本のエネルギー政策にも多様な意見があると思います。
それを踏まえた上でも僕はこの行動は素晴らしいと思います。


Watch ã��ã�£ã�¨ã�¦ã�½ã� ã�£ã�� in 娯楽  |  View More Free Videos Online at Veoh.com

2011年3月29日火曜日

prints21

久しぶりに雑誌を買いました。



高校時代や浪人時代
大学入学当初はちょくちょく月に1~2冊は何かと雑誌を買っていました。
漫画雑誌、音楽雑誌、写真雑誌などなど
しかし若者の雑誌離れよろしくここ最近はめっきり雑誌を買わなくなってしまいました。

特に何か心境の変化があったわけでもなく
特別ライフスタイルなんかも変わっていません。
ただなんとなく欲しくなくなったというか。
きっと昨今の出版不況もわかりやすい特定の理由があるわけでなく
こうした「なんとなく」から派生してる部分も大きいような気がします。

僕だけだったりして。


今回買った雑誌はPrints21という雑誌
憧れのドラマー中村達也氏の特集だったので。

このPrints21
毎号ひとりの人物の特集で構成されていて
季節ごとにでるようです。

今までも
忌野清志郎
浅井健一
The Birthday
笠井爾示
の特集号を買っていました。

週刊誌だったり月刊誌だったりで
広告だらけ紙質はいまいち読み終わったら捨てちゃう
みたいな雑誌はもうきっと買わない
もしくは買ったとしても
読みたい記事とっておきたい記事のみスキャンして廃棄してしまうと思います。

こういう風に広告も少なめで
きちんと作られていて
作品といえるくらいのクオリティを持ったものはきっと
細々と買い続けていくような気がします。
ちょっと値段高いけども。

ただそういう雑誌に限ってすぐに廃刊になってしまうような…

やはり中村達也氏はかっこいいです。

2011年3月28日月曜日

攻殻機動隊 S.A.C. SOLID STATE SOCIETY 3D

26日公開初日に新宿バルト9にて

『攻殻機動隊 S.A.C. SOLID STATE SOCIETY 3D』

を観に行ってきました。
うーん名前が長い。



攻殻機動隊は押井作品を含めずっと好きで
この公開に向け改めて押井監督の
『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』
『イノセンス』
と神山監督のシリーズアニメ
『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』
『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』
をここ最近観直していました。

『攻殻機動隊 S.A.C. SOLID STATE SOCIETY 3D』

内容は事前に知ってはいましたが
改めて観てもとても楽しめました。
攻殻機動隊は3Dと親和性が高い!

オープニングは完全新作映像
なのでものすごく3Dの奥行きといいますか
空間表現を強調していましたが
他のシーンはちゃんと3Dにはなっているもののそれほど強くはありませんでした。
奥行きはありますが違和感はない程度です。
いわゆる
視聴者の方にモノが飛んできたりするわざとらしい表現
がなかったのがとてもよかったです。
もともとが通常の2Dの作品なので当然なのですけども。

ただ電脳通信の場面はすごくリアルに感じました。
(SFなのでリアルというのも変だけど)
Twitter上の口コミでも
オフィシャルの宣伝文句でも言われていましたが
本当に自分が電脳化したような気分を少し味わえました。

アバターをはじめ、他の3D作品を観てないのでなんとも言えませんが
ひょっとするとセルアニメの方が3Dに向いているのではないか?
とも思ったり。
少なくとも攻殻機動隊の世界観
情報社会で人々の意思が電脳という形でつながった世界
は3Dでの表現がとても合っていると感じました。

3Dの劇場作品の\2000という価格設定には
ここ最近経済的に逼迫してる身としてちょっとむむむなんですが
個人的な思い入れも作用しとりあえず満足でした。

あと一連の攻殻機動隊作品を見直して感じたことですが
ようやく時代が追いついた
という感覚があります。
これは自分が最初に観たときにただ知識、教養が足りなかった部分も大きいとも思いますが
私たちの生活において昔よりも
「情報社会」
というものを意識できるようになって気がするのは僕だけではないはず。
そうでもないのかな?
少なくとも『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』は
公開されたのが95年
インターネットが普及し始めたのもWindows95がスタートとも言えるので
公開当時は今ほどネットの概念は理解できなかったのでは?
たとえ理解はできたとしても体感として感じることはできなかったのではないか
と思います。
なんかズレてるかな?
その当時に観てみたかったです。
ただ小学生じゃ無理ですがw

時代が追いついてきた
は言い過ぎかもしれませんが
STAND ALONE COMPLEXなどの概念を含め
少なくとも僕にとってのリアリティは強くなってきたように感じます。

それにしても
『東のエデン』にしろ神山健二監督はやはり
社会問題などをエンターテイメントとして作品に取り込んで描くのが非常にうまいと感じました。
作品が完璧だとは思っていませんが(特に『東のエデン』)
時代への視点やテーマ設定は抜群だと思います。
すっかり神山ファンです。
これからも神山作品には注目していきたいです。




PS:
このブログ
記事によって一人称が「私」だったり「僕」だったりしますが
書いてる中の人はひとりです。
ただ単純に文章力がないだけです。
ごめんなさい。

2011年3月21日月曜日

パプリカ

筒井康隆氏の小説『パプリカ』を読みました。



私は先に今敏監督のアニメ『パプリカ』を観ていて
とても好きな作品なので機会があったら原作にも触れておこう
とずっと思っていて
先日ようやくブックオフで見つけたため購入しました。
すいませんお金がないのです。

簡単に書くと
とても面白かったです。
小学生みたいな感想ですが。

大変お恥ずかしいことに
私は筒井康隆氏の作品を読むのは始めてでした。

筒井康隆

なんとなくお名前の勝手なイメージから
なんというかこうとてもお偉い感じで
徳が高いというか
とても高尚で難しい感じの文学をやってらっしゃる方で
もうちょっとヒエラルキーの高い方向けというか
私のような下賤な者がその作品を手にとってとってはいけないのではないか
と思っていました。

読んでみて杞憂であったと分かりました。
とても読みやすかったですし大変楽しめました。

パプリカ
ちょっと残念だったのは
やはり今敏作品のイメージ
特に夢が現実の世界になだれ込んでくるようなシーンのイメージが強すぎて
文章から浮かんでくる脳内映像が完全に今敏作品の映像になってしまい
自由な想像と言いますか
純粋に文章から素直に浮かんでくるイメージが作れなかったことでしょうか。

まあこれは映像化された作品を観たあとに原作に触れるとしばしば起こることではありますが
それにしても今敏氏の映像イメージの強さに驚きました。

お話としてはアニメとはやや違うけど
そんなに違わないといいますか
うむむうまく説明できませんが
その登場人物であったり
その人間関係だったり
置かれた状況やその背景など細かいことはいろいろと違いますが
この作品のメインの魅力
夢と現実の交錯した感覚
というのはバッチリ同じだと思いました。

また今敏氏のほうのパプリカを改めて観たくなりました。

2011年3月19日土曜日

まあいろいろあるけど

こんなときにブログを書くのはどうなのかな
とも思ったのですが
幸運にも直接的な被害を受けてないので
だからこそなるべく日常に戻していくために
なるべく日常的な生活や行動を心がけようと思ったのでした。


昨日は銀座のアップルストアに行ってきました。
というのも
iPhoneの上のボタン
ロックボタン、電源ボタンが反応しなくなってしまったのです。



ここ最近の電力不足の中でできる限り節電をしようと思いまして
なるべくPCを使わないようにしようと思い
いつも以上にiPhoneを使っていたのも原因のひとつだと思われます。



その後よくよく調べたらノートPCの使い電力って実はとても少ないみたいですね。
高くても20W前後
部屋の蛍光灯40Wなんですが…。



このボタンが使えないと
画面のロックがすぐにできず
誤動作を起こしてしまうのです。
不便。

ということでなんとかすべくアップルストアに向かいました。

そういえば銀座のアップルストア
前を通ったことはありますが
中に入ったのは初めて。
やっぱりAppleという感じがしました。
ものすごくすっきりしててキレイですし
ものの配置やらなにやらシンプル
働いてるスタッフの方達も何か楽しそうに見えました。
Appleのポリシーみたいなものが体現されてます。

キョロキョロしてたらフレンドリーなスタッフの方に声を掛けて頂き
事情を説明
するとすぐに動作確認をしてくださり
本体交換
ということに。(無償です)

これはAppleでは定番の対応です。
昔iPodのイヤホンジャックが壊れたときも
メールを出したら即配達業者が受け取りにきてすぐに交換ということになりました。

詳しいことは分かりませんが
同じ製品を大量に生産し世界で売っている企業にとっては
ひとつひとつ修理して返すよりも
本体を交換という対応をした方がコストが安いのだとか
(ただその交換品は故障したものの修理したものだったり新古品だったりするらしいです。前に交換して手元にやってきたiPod classicはとてつもなくピカピカでしたけどね)

本体交換
ということでしたがここで店員さんから思わぬ言葉が。

「誠に申し上げにくいのですが…地震の影響で在庫が十分に確保できずすぐに交換は…」

何やら倉庫?が千葉県にあるらしくそこにある在庫が地震の影響でダメになってしまったとか。
在庫はゼロではないのだが
できれば画面が割れたり電話ができなくなったりという緊急の人を優先したいとか

なるほど。
分かりました。
しょうがない。
ということでまた後日入荷したら連絡をくれるということになりました。


それにしてもAppleのスタッフさんの対応はイケメンでした。
私もあれくらいのコミュニケーション能力を身につけたいものです。


父と話したところ(父はとあるメーカーに勤務)
父の会社の製品も地震の影響で
倉庫にあった在庫が崩れ
もちろん箱に入っているので大方無事ではあるものの
念のため故障をしてないかひとつひとつチェックしてから出荷してるんだとか。
他の多くのメーカーでも同じことが起きてるようです。

もの作りって大変なんですね。


早くこういった部分も復旧して欲しいと思いました。



最近はなんだか以前のように積極的には音楽を聴かなくなってきてるのですが
安藤裕子さんの「Japanese Pop」というアルバムをなんとなーく聴いております。
音がいいのでちゃんとしたヘッドフォンで聴くととても心地よいです。


2011年3月12日土曜日

生きる

久しぶりに



ということを意識しました。

ひとりでも多くの方が無事であることを祈ります。

2011年2月20日日曜日

くさいものにはフタをするな

『A3』という本を読みました。



普段あまり積極的に本を読む習慣がなく
読むとしても小説ばかりで
意識して何かのテーマについての本を読むことはない私ですが
なんやかんやでオウム関連の本は関心を持って読んでいます。

『「A」撮影日誌 オウム施設で過ごした13ヶ月』 森達也
『アンダーグラウンド』 村上春樹
『約束された場所で underground2』 村上春樹


そしてこの『A3』

そもそもオウム事件に関心を持ったのは
森達也氏の映画
『A』
『A2』
を観てからです。
このふたつの作品は強烈でした。




私は1988年生まれなので
地下鉄サリン事件が起きた95年3月20日
7歳
まだ毛も生えないクソガキだったとは思いますが
やはりうっすらと覚えています。
世の中大騒ぎでした。

しかしながらこれらの作品を観るまでは
記憶からすっぽりと抜けていました。


今となっては世間的にもそうだと思います。
直接的、間接的の被害者の方でなければ
オウムのことを思い出すのは
おそらくニュースで
「あれから何年…」
といったものや
「容疑者〇〇の死刑が執行された」
など。
もしくは
交番に貼ってある指名手配のポスターを目にした時ぐらいではないでしょうか。


「戦後最悪の凶悪事件」

「化学兵器を使った無差別テロ」

などと称されるこの事件ですが
なぜ今このように忘れられているのでしょうか。
なぜ多くのことが分からないままになっているのに誰も疑問に思わないのでしょうか。
麻原やその信者たちを処刑して「はい、おしまい」でいいのでしょうか。

『A3』を読んで改めてそんなことを思いました。


以下気になったこと

・麻原は水俣病の被害者だった可能性あり?
・麻原の裁判の進め方
・現在の麻原の精神状態とずさん(恣意的?)な精神鑑定 → 問うのは責任能力ではなく訴訟能力では?
・95年3月30日の警察庁長官狙撃事件の犯人は?
・村井秀夫が刺殺された理由は?
・そしてこの一連の事件が起きた根本的な原因は?


悪夢のような事件ですし
動機や真相もとても分かりにくい事件です。
さっさと忘れてしまいたくなる気持ちもとてもよく分かります。

ただ『A3』を読んで改めて思ったことですが
オウム事件が日本社会に与えた影響は大きいです。
著者の言うとおりオウム事件を契機に
今までの当たり前だったことが当たり前でなくなり
新しい「当たり前」が作られました。
この事件の根本的な原因が分かっていない、現実として受け止めきれてない以上
また同じような事件(形は違えどもなにかが共通するようなこと)
が起きてもおかしくはないような気がします。

もう16年も経っているので手遅れの部分は多々あると思います。
しかし時間が経った今だからこと見えてくるものもあるはず。
まだ加害者も被害者も生きている方がたくさんいますし
私たちの生きている時代に起きた大きな事件です。
私たちの世代で総括しなければ。
もう少しこの事件にまた目を向けてもいいのでは?
と思いました。
難しいですね。

2011年2月12日土曜日

ふたつの『1984』

モトローラのタブレットPCのCMが面白かったです。



ご存じの方も多いかと思いますが
これはアップルが1984年に発表したCMに対抗したものです。

アップルのはこちら



このCMどちらも
事前にある程度の知識がないとメッセージがよく分かりません。
僕も大学の授業で教わるまで意味がサッパリ分かりませんでした。


これはそもそも
ウィリアム・ギブスンが書いた
『1984』
というSF小説を引用したものなのです。


簡単にいうと
この『1984』という小説では
1984年におとずれているであろう情報社会は
ビッグブラザーという権力者による監視社会である
という風に描かれています。
つまり情報技術は人々の生活の便利な道具ではなく
権力による統治の道具となっているわけです。

(こう描かれた背景には冷戦の影響が強くあるようです。
「社会主義陣営の未来はこうなるよ」みたいな。)

しかしこのアップルのCMでは
そのビッグブラザー(スクリーンに写ってる人)
をアップルが倒す
というイメージになっています。

ここでのビッグブラザーは
当時のコンピューターのシェアを押さえていたIBMのことを指しています。
(当時IBMは通称『ビッグブルー』と呼ばれてたんだそうな。)

そして最後に浮かび上がるメッセージ

On Junuary 24th,
Apple Computer will
Macintosh.
And you'll see why 1984
Won't be like "1984".


日本語に訳すと

1月24日、
Apple Computer社はMacintoshを発表する。
1984年が『1984年』のようにならない理由がこれで分かるだろう


という感じだと思います。
(ですよね?)

つまり
IBMのコンピューターだと『1984』みたいになっちゃうけど
俺らのマッキントッシュ使えばそうはならないよ

というメッセージです。
なんという自信だw

ただまあこの自信にも根拠があって

IBMのコンピュターの思想はどちらかというと
ひとつの大きなコンピューターがあって
そこにそれぞれの端末でアクセスするみたいなイメージ
中央集権型
だったらしいです。

一方でアップルの思想は
ひとりひとりがコンピューターをもつ
パーソナルコンピュータ
としての考え方が強かったらしいです。
(当時はインターネットもなかった)

ゆえにこういうメッセージになったのでしょう。
支配からの脱却みたいな。

はい。ここまで大学の授業の受け売りでーす。




そして今回のモトローラのCM

大衆はみんな白い服で白いイヤホンをしてますね
これはアップルを指しています。

アップルは何度か危機がありましたが
iPod、iPhone、iPadというデバイスで次々と大成功をおさめ
シェアを広げていきました。
今ではマイクロソフトを超える時価総額となっています。
多数派のWindowsに対抗する少数派Mac
かつてのアップルユーザーは肩身の狭い思いをしてきましたが
気がついたらDAP、スマートフォン、タブレットPCでは圧倒的なシェア
どこに行ってもiPod、iPhoneユーザーだらけです。

また多くの方がご存知の通り
他の製品と互換性のないiTunes
しっかりマージンをとりながらあらゆる音楽、映画、アプリを配信しているiTunes Store
ユーザーとしては一括で使えるのでとても使いやすいというメリットはあるものの
これは一種の支配とも考えられます。

それらに対してモトローラが今回のこのCMで
「お前らがビッグブラザーになってるじゃねえか!」
「みんなそこから解放されようぜ!」
と言ったわけです。
モトローラかっこいい!

時は流れてるんですね。
ジョブズだってココロのどこかで思ってるかもしれません。
「こんなはずではなかった」と。(勝手な想像です)
インディーズで「みんな死ね!」みたいなこと歌ってたバンドが
売れて「みんな愛してる!人類みな兄弟!」と歌い出すみたいな感じですかね。
(たぶんちがう)


ただこの製品がiPadより優れてるかどうかは知りません。
僕はどちらかというとiPadのほうが欲しいです。
おおビッグブラザー!



こういう風にある程度の教養だったり
知性を求められるCMって素晴らしいと思います。
私はアタマがよくないのでこういうこと言える立場ではありませんが。

やはりCMというのはモノを売るためにつくられる作品であるがゆえ
より多くの消費者に伝えるべく誰にでも分かりやすい形で作られるものだと思います。
(逆にこうやって知識のいるモノでブランドイメージを作るという方法もありますが)

しかしながら近頃はCMだけでなく
テレビ番組やらなんやらで
丁寧すぎ
分かりやすくしすぎ
と感じることが多々あります。
逆にバカにされているのではないか
と思うくらい。

もちろん世の中にはいろんな人がいますから
そこに合わせる理由も分かります。
ただやはり
「視聴者のレベルに合わせて作るもの」
とは別に
「視聴者のレベルを引き上げるもの」
もあってもいいのでは?
ひとつの作品として人々を啓蒙する役割があってもいいのではと思ったのでした。


ただ僕もそういったものを求めてばかりいないで
もっと広い意味で勉強して見識を広げねばいけませんね。

2011年2月8日火曜日

ほぼ日手帳

もう2月ですね
というか前回のポストからすでに2月でしたね。
一年の1/12が終了。
時が経つのはあっという間です。
人生もこういった延長で
きっと気がついたらきっと棺桶の中なんでしょう。
こわいこわい。

今年も手帳を買いました。
あれこれ散々迷った挙句
昨年、一昨年に引き続き「ほぼ日手帳」を買いました。




ちなみに4月はじまりのもの。


買う決め手となったのはやはり「使いやすさ」です。

構想として

スケジュール管理 → iPhoneのカレンダー&googleカレンダー
思考のカス(メモ、感想、愚痴e.t.c) → MOLESKINE

というスタイルを考えていましたが
上手くいくか不安でしたし
生活スタイル(というほどのものでもないけど)
を変えるのがちょっと面倒でした。

書いてて思ったのですが
たかだか22やそこらで生活を変えるのを怖がる(面倒くさがる)のはイカンですね。
オヤジみたいです。
慣れって怖い。

来年、無事社会人になる予定が確定したらまたこれに挑戦してみようと考えています。


それにしても
紙の手帳を使ってるとアナログメディアの良さ・強さをひしひしと感じます。

紙に文字や絵を書くというのはなんというか身体的な行為なので
ものすごく自然というか、感情と直結してるような感覚があります。
また、大事にすれば長持ちするので記録メディアにもなりますし
常に持ち歩いていれば身近な外部記憶装置にもなります。

あと
ほぼ日手帳は

日記+手帳÷2

みたいな使い方がしやすいので(というか推奨してる感がある)
とても便利なのです。

一日1ページになっているので検索性も高いです。
例えば2年前の今日は何してたかというのも大体ならすぐ分かります。

日記というちゃんとした形式をとると
面倒になってちゃんと書きません。
かといって小さい手帳はスケジュールのみしか記入しないので
開く気も起きません。
しかしほぼ日手帳であれば
手帳という形をとりつつも、いい意味での無駄なスペースがあります。
スケジュールと自分の所感だったりを一緒に書き込めるので
どちらも気軽にできます。



ちなみに
2年前の2月8日
僕は
10時に起床
12時から6時間アルバイト
その後何をしたかは書いていませんが

 縦写真-決断・主観・瞬間
 横写真-観察・客観・時の流れ

とメモしてあります。
おそらくこの時期は写真の理論とか技術みたいなものにやや興味があったので
たぶん写真雑誌でも立ち読みして気になったことをメモってるのだと思います。

あと

 夢日記をつけると現実と夢の記憶があいまいになる?

とやや恐ろしいことが書いてあります。
なんなんだこれは?

こうやって無駄なことも無駄ではないことも
記録すれば日々の反省になり
生活の改善に繋がるはず

なんですが
今のこうした自堕落な生活を考えるとあまり反省できてないのかもしれません。

ちなみに手帳のカバーには
自分で撮った風景の写真を入れています。
そろそろこれも飽きてきた。

2011年2月2日水曜日

ペンギン・ハイウェイ

森見登美彦氏の
『ペンギン・ハイウェイ』
という作品を読みました。



私はあまり本を読むほうではないのですが
森見登美彦氏の作品はとても好きで
大体の作品は読んでいます。

『太陽の塔』
『四畳半神話大系』
『きつねのはなし』
『夜は短し歩けよ乙女』
『新釈 走れメロス』
『有頂天家族』
『美女と竹林』

はすべて文庫版を購入しました。

そうそう
なぜ文庫版かというと
ハードカバーの本はモノとしてはすごく好きなのですが
文章を読むメディアとしては
私にはどうしても不便なのです。

私が本を読むの場面は
大きく分けて2つ。
夜寝る前
もしくは
退屈だけど出席せねばならない授業中
のどちらかです。

夜寝る前はベッドに入りゴロゴロしながら読むため
ハードカバーでは不便です。
幼少の頃に早くも運動神経がないことに気が付き
以後体を動かす機会から積極的に逃げ続け形成された私の肉体には
もはやキーボードをパチパチやる程度の筋力しか備わっていないので
ゴロゴロしながらハードカバーの本を読むと
腕が筋肉痛になってしまいます。
同時に集中力の欠如した私は
本を読みながらうつらうつらしてしまうことも多いので
ハードカバーでそれをやってしまうと本を落下させ顔面が陥没し
とんでもなくイケメンになってしまうおそれがあります。

また
退屈だけど出席せねばならない授業中の場合
(よい子は真似してはいけません)
まず歩くこと以外に必要のない筋力をそぎ落とした私の究極のボディには
数百グラムのハードカバーの本をカバンにいれ外出するだけでもかなり骨の折れる作業です。
かつ石橋を叩いて壊すほどのチキン野郎なので
大きい本を授業中に広げる勇気はありません。


しかし
今回読んだ『ペンギン・ハイウェイ』は
ハードカバー。

なぜか。
それはもらったからです。
てへ。
誕生日に兄に頂きました。
感謝感謝。
頂いたからにはちゃんと読まねばと思い
腕の筋肉痛に耐え顔面を陥没させながら読みました。


この作品は
舞台が京都ではありませんし
腐れ大学生も出てきません。
桃色ブリーフもでてきません。
小学生の男の子が主人公のファンタジーです。
なるほど「森見登美彦の新境地」とカバーに書くだけはあります。

ただ森見登美彦氏のユーモアは健在でした。
おっぱいもでてきました。

謎解きかと思いきやそうでもなく
やや切なさが残りながらも希望がみえるオチでした。
きっと本をたくさん読む方には不満の残る作品かもしれませんが
私は割と好きでした。

それにしても森見登美彦氏の小説のでてくる女性は素敵です。
明石さんにしろ「彼女」にしろ
この作品にでてくる「お姉さん」にしろ
もはやお約束となりつつありますがエキセントリックでキュートです。
そしてどこか凛々しい。
素敵過ぎるくらい素敵です。
リアリティ?
そんなもの必要ないのです。
あこがれって大事なんです。
ゆえに森見作品のヒロインに嫌悪感を覚える女性がいらっしゃるのもまた理解できますが。

僕も少年のように「お姉さん」に会えるようにがんばらねばなあと思いました。

2011年1月31日月曜日

奴隷天国

以下コピペです。

746:H&K MSG-90(新潟県):2010/09/21(火) 13:11:03.06 ID:9mj0cMYk0

これが現代日本だ

2007/07/12 日本の労働生産性、先進国中最低
2007/09/28 年収200万円以下の給与所得者1000万人超す、2006年統計
2008/01/19 人材派遣会社の中間搾取30%超、厚労省調査
2008/02/27 貯蓄なし世帯、全世帯の20%
2008/06/16 日本の職場ストレスは世界一、米社調査
2008/07/22 労働白書、派遣増加と成果主義で労働意欲低下
2008/08/29 働く二十歳の約半数が非正規雇用
2008/09/02 有給休暇、日本の取得数は先進9カ国中で最低
2008/09/03 若者半数が違法労働経験、ほとんど泣き寝入り
2008/09/20 年収200万円以下の給与所得者1000万人超、2年連続
2008/11/07 全労働者の4割弱が非正規雇用、派遣は倍増
2008/11/21 若者の非正規雇用が急増、十代後半では7割が
2009/04/02 自殺者数が今年も3万人超え、11年連続
2009/05/01 厚労省試算、低成長なら年金制度31年度に破綻
2009/05/20 GDP成長率、戦後最悪の年率換算ー15.2%
2009/06/22 地方では未婚男性の半分が年収200万円以下も



747:H&K MSG-90(新潟県):2010/09/21(火) 13:11:24.98 ID:9mj0cMYk0

2009/07/24 企業内失業者が607万人に、経済財政白書
2009/07/25 正規と非正規で2.5倍の所得差、経済財政白書
2009/10/11 生活保護、7月は過去最多の124万世帯
2009/10/20 日本の貧困率は15.7%、先進国ワースト2位
2009/12/22 日本の労働生産性、OECD30カ国中20位、先進7カ国中最下位
2010/01/26 自殺者12年連続で3万人超す 09年
2010/02/11 国の借金、872兆円と過去最大に
2010/03/04 生活保護世帯、130万世帯を突破
2010/04/10 昨年度の全勤労者平均給与年収は300万未満、厚労省発表
2010/04/22 「成果主義」で信頼感や意欲低下、企業活力研究所
2010/05/13 自殺者数12年連続で3万超、若年層自殺率が過去最悪
2010/05/17 正社員雇用でもワープア拡がる
2010/05/24 退職強要「新卒切り」横行、無計画のツケを新人に



748:H&K MSG-90(新潟県):2010/09/21(火) 13:11:55.31 ID:9mj0cMYk0

2010/06/12 生活保護134万世帯で過去最多
2010/06/29 労働者の23%がワープアに、なお欧州は8%
2010/06/30 日本の人口当たりの自殺者数、OECD加盟国で二位
2010/07/24 ひきこもり70万人、予備軍155万人 内閣府推計
2010/08/10 国の借金が過去最大、遂に900兆円超す
2010/08/12 生活保護世帯が135万世帯で過去最多
2010/08/21 完全失業者349万人、長期化の傾向で一年超失業は118万人
2010/09/05 日本の一人当たりGDP、台湾に抜かれる






あれれーなんだか働きたくなくなってきたぞー?
そういうわけにはいきません。
ただ私たち若い人が変えていかねばね。


2011年1月30日日曜日

朗読者

なんだか更新が滞りました。
大学も始まり
すぐにテストやらレポートやらの季節になりました。
テストはいちおう非日常的なイベントでもありますが
結局はここのところ学校と自宅の往復のみで
割と毎日同じことの繰り返しなのです。
繰り返しにならないように生活を心がけたいものですね。
え?就活?



『朗読者』

という小説を読みました。
2008年には『愛を読む人』というタイトルで映画化もされた作品です。
それにしてもなんだか非常に残念な邦題ですね。
(原題はThe Reader)

これは自らの意思で手にとったわけではなく
メディア論という授業の課題です。
そして以下のような問題がテストに出題されました。


※ネタバレ注意です※


<ベルンハルト・シュリンクの小説『朗読者』の主人公のハンナは
なぜ恩赦が決まったのにも関わらず自殺したのか。
メディア論的な観点から自由に論じよ。>


という問題です。


『朗読者』の舞台は第二次大戦後のドイツ。
ミヒャエルの視点で物語は語られます。
ある雨の日、15歳の主人公ミヒャエルは体調が悪くなったところを名も知らぬ女性に助けられます。
その後ミヒャエルは数ヶ月病床に。
彼は回復するとお礼をするためにその女性を探し再会します。
それが36歳のハンナでした。ふたりはほどなく男女の仲になります。
少し経つとハンナはミヒャエルに本の朗読をしてほしいと頼み、それがふたりの習慣になりました。
しかし、ある日ハンナが突然姿を消します。
大学生になったミヒャエルは法律を学んでいました。
ある日ナチスの戦争犯罪に関する裁判を傍聴しに行くと、ハンナが戦争犯罪人として裁かれていました。
彼女は大戦中に強制収容所の看守をしていたことがここで明かされます。
ハンナは裁判の中で彼女が犯した罪よりも重い罪の容疑がかけられますが
彼女は抗弁しようとしません。
ここのでミヒャエルは彼女が「文盲」であることに気がつきます。
文盲であることが発覚するのを恐れた彼女は自らの罪ではない容疑まで認め
無期刑に処されます。
彼女が刑務所に収監されたあとミヒャエルは
『オデュッセイア』をはじめとした本の朗読を録音し彼女に送り続けます。
字を学んだ彼女から手紙は届きますが、彼は一度も返事を返すことはなく
ただひたすらテープを送り続けました。
そして十数年が経ちハンナの恩赦が決まりました。
そこで初めてミヒャエルはハンナに再会します。
彼はハンナの出所に向け様々な準備をしますが
出所の前日ハンナは自殺をしました。
遺書は残されていましたが自殺の理由は書かれていませんでした。


そんなお話。
こうやってまとめるとものすごく薄く見えてしまいますが
それはここのスペースと私の文章力のなさに起因したものですので原作に罪はありません。
僕はとても読み応えのある小説だと感じたので気になる方は手にとってみてください。
オチを知らないほうがきっと楽しめますがw

それでは例の問題です。

<ベルンハルト・シュリンクの小説『朗読者』の主人公のハンナは
なぜ恩赦が決まったのにも関わらず自殺したのか。
メディア論的な観点から自由に論じよ。>

あれ?ハンナ主人公じゃないくね?
という疑問は華麗にスルーしましょう。
きっと先生のかわいい間違いです。

ではハンナはなぜ自殺したのか。
きっと理由はいろいろとあってそれらが重なりあったものだと思います。
だいたい人間ひとつの理由で簡単に自殺なんかしませんよねきっと。
まず考えられるのが
・自分が戦時中に犯した罪の意識・自責の念
・出所したあとの生活の不安
・ミヒャエルとの関係
などなどだと思われますが
どの理由にもプラスして孤独があると思います。
また彼女は出所する前日に首を吊ったわけですから
ミヒャエルとの生活を拒絶したという意味合いも感じられます。

~中断~
んーもっとこう
「きっとこうだろうな」
みたいにいろいろ感じてることはあるのですが
うまく言葉にできません。
~再開~

そしてまた問題に戻ると
<メディア論的な観点から自由に論じよ>
とありますね。

ということはやはり
彼女が文盲であったこと
がキーワードになるかと思います。
というか他にメディア論的な要素はないかと。

自分以外の人の多くが持っているメディアを持っていない
というのはどんな感覚なのでしょうね。
そして
「文字」
というメディアはやはり大きなものだと思います。
文字が分からなければ
本も読めないどころか
切符も買えません(このエピソードもでてきます)
書類に記入もできません(これも
今だったらネットだって満足に使えません。
世界の見え方は確実に変わってくるだろうと思います。

文字メディアというのは
その発信者と受信者の間に直接的な関係がなかったとしても成立し
お互いを繋ぐことができます。
活字メディアなんか象徴的です。
例えば僕とこの作品の筆者と直接面識はありませんが
この作品を通して繋がっているわけです。
また世界中の人がこの作品を通して繋がっています。

しかし声メディアは
発信者と受信者の関係ありきのメディアです。
もちろん共通の言語であれば初対面であっても簡単な意思疎通はできます。
しかしある一定以上の質と量の情報を伝え合うには
お互いの関係性が非常に重要となってくるのです。
文盲の人が声メディアを失う(ハンナでいうと刑務所に入ること?)
というのは世界との関係が切れることと等しいのではないでしょうか。

ちなみに今調べたら世界の識字率は75%だそうな
うーむ。

ただ
ハンナは刑務所の中で新たな人間関係も築いていますし
字の読み書きを身に付け
手紙も書けるようになるし
本も読めるようになっているのです。


ならどうして?


友人のひとりは
「ハンナは文字を読めるようになったことによって逆に孤独を知ったのでは?」
と言っていました。
(文字の世界=発信者と受信者の関係がなくても成り立つ世界だから)
がこれも
「なるほど」とは思いましたが
これだ!
とまでの確信には至りませんでした。


ということで
僕は自分の中でもうまく答えが出せなかったので


この問題は解きませんでしたw


選択問題のひとつだったのでもうひとつの問題を選択しました。


ここまで書いといて何言ってんだハゲ!
と思われるかもしれませんが
しかし

答えは読んだ人の数だけある!
自分で見つけろ!

と書いておきたいと思います。
ごめんなさい。

ただこういう読んだ後のもどかしさ
というかモヤモヤ
って大事だと思います。
夏目漱石の『こころ』に通じるものがあるのでは?
と僕は感じました。

2011年1月19日水曜日

ニューロマンサー

以前も書きました
最近SF的なものに興味があるので読んでみました。



感想は

なんかよく分からなかった

です。
ドイヒーですね。
お恥ずかしい。

なんだか言葉もよく分からず
キャラクターもいまいち把握できず
ストーリーも上手く追えませんでした。

ただ唯一楽しめたのは
描かれてる街の雰囲気だったり
世界観。
ジャックインして電脳世界に飛び込んでいくところとかは
やはりテンション上がりますね。
『攻殻機動隊』や
『マトリックス』といった作品に
多大な影響を与えたという事実もとても実感できました。

ただ理解できなかったのは悔しいので
時間ができたらまたシッカリと読んでみようと思っています。

「SF的なもの」
なんでこういった書き方をするかというと
あまりにそういった作品を知らないため。
いわゆるSFってのが一体何を指してるのかよく分からないのです。
僕が想像してるSFがいわゆる世間で言われてるSFと違うような気がしてるので
的なもの
と言う書き方をして誤魔化してみました。

ちなみに僕が興味があるのは
『スターウォーズ』や『ET』のようなタイプのSF(宇宙もの?)ではなく
『攻殻機動隊』、『マトリックス』、『電脳コイル』
のような情報社会を描いた作品たちです。

やはりここ数年の間に自分の生活の中でインターネットが占める割合
というか情報そのものを意識することが多くなってきて
そういった作品たちに妙にリアリティを感じるようになったのが大きいのだと思います。
大学生になって自分のPC買ったり
twitter始めたりiPhone使うようになったり
もはやそれなしでは生活できなくなっています。
この感覚をうまく言葉にできませんが
そういった作品の中で描かれている情報社会は
遠い未来の話や別の世界での話ではなく
現在のちょっとした延長であるような気がひしひしとしています。

モバイル化?
ユビキタス?
クラウド化?
そうきたらそろそろ身体化?
なんだかわくわくしますね。

SFとか好きな方で
僕がおもしろいと思えそうな作品知っていたらぜひ教えてください。

2011年1月15日土曜日

フィルムカメラと七里ヶ浜

年末年始と家にひきこもりがち
かつ、部屋にひきこもりがちでした。
(だって寒いんだもん)

さすがにこれは如何なものか
と思いひとり鎌倉の方まで遊びに行きました。



このブログに書いたかどうか覚えていませんが
私趣味でときたま写真を撮っています。
大学1年のとき
祖父にフィルムの一眼レフを譲ってもらったのが直接的なきっかけではありますが
今思えばそれ以前から写真を好きになる気配はあったような気がします。

中学2年の時にオモチャのようなデジカメを買いました。
写真のブログなどもよく見ていた気がします。
高校3年の時は常に父のデジカメがカバンの中に入っていました。

というわけでこの日の目的も鎌倉の観光ではなく
ただ海の写真が撮りたかっただけなのです。

この日の装備はこちら


でっかいカメラは
Zenza Bronica SQ-Ai
着けてるレンズは55mmのやや広角のもの

コンパクトカメラは
Fujifilm Klasse S

ブローニーフィルムは
kodak E100GP
35mmのフィルムは
Neopan SS
Velvia 50

あと露出計です。

すべてフィルムカメラです。
今この時代にフィルムを使うというのは
不便ですしお金もかかりますが
やはりその欠点もまた魅力なんです。

今は殆どのメーカーでフィルムカメラの生産は止まっていますし
フィルムの生産もストップしはじめて使える種類もどんどん減っています。
これは悲しいことではありますが
需要も減っていますし時代の流れを考えると仕方がないことなのかもしれません。
しかしいいモノはこれから先も残るはず。
レコードだってまだなくなってません。

また考え方によっては
今はデジタルもフィルムもどちらも割と自由に使える幸せな時代なのかもしれませんね。
きっと5年後、10年後はもっと不自由しているような気がします。


江ノ電の七里ヶ浜という駅で降り
ぶらぶらと江ノ島のほうまで写真を撮りながら歩きました。













こうやって自然の中で
ひとりで静かに過ごす時間はなかなか貴重だと感じました。

2011年1月9日日曜日

eggshell

今までも何度か書きましたが
iPhone4のケースにはジョブズが無料で配ってくれた
apple純正のBumperを使ってきました。

参照記事

ミラクルフィットするし滑らないし
画面も保護してくれる
イヤホンの穴が小さく入らないイヤホンがあること以外に
まったく文句はなかったのですが
使っていくうちにゴムとプラスチックの部分から剥がれボロボロになってしまいました。

こんなふうに。

(いろいろ調べてみたところ同じ症状の方がけっこういる模様)

むむむ

無料でもらったBumperを改めて¥2900でまた買うのもどうか
などいろいろと悩み
結局は新しいケースに変えました。

egshell for iPhone4
というケースです。
http://tunewear.com/eggshell-iphone4/



いろいろ電気屋で触ってみたのですが
どうもシリコン系の妙に柔らかな素材感が苦手だったので
このようなハードなものを選びました。

とても気に入っています。
iPhoneはこんなに薄かったのか!
と改めて感動。
非常に美しくもはやエロスをも感じてしまいます。
またイヤホンの穴の部分も開放されているので
どんなイヤホンでも使えそうです。
満足。

しかしBumperのときのような弾力性はないので
落としたら美しきiPhoneの画面に決定的な致命傷を与えてしまうでしょう。
気を付けねば。

相変わらずiPhone以外のデジカメを持っていないので
装着している姿を撮影できないのが嘆かわしい。


そういえば
明けましておめでとうございます。
本年もこのブログをどうぞよろしくお願いいたします。