2011年9月25日日曜日

攻殻機動隊S.A.C.SOLID STATE SOCIETY


『攻殻機動隊S.A.C Solid State Society』の小説版を読みました。

神山監督自らも書いていますのでストーリー自体はアニメ版と変わりません。
しかし小説ならではの特色として
キャラクターの心情がハッキリと言葉で描かれていて面白かったです。
これはやはりメディアの性質の違いだと思います。

映像表現の場合
キャラクターの感情はやたらと言葉で表すものではありませんし
言葉で説明されている作品ほどつまらないものはないと私は思います。
キャラクターの表情、仕草
カメラのアングル
カットを切り替えるタイミング
比喩的な風景描写
などから読み取るものです。

それゆえ作り手の意図したものと受け手が感じ取ったものに
齟齬がでることがありますが
そこがまた映像表現のおもしろいところでもあるのではないかと思います。
(そもそも言語表現でもしばしば起こることですが。)

『攻殻機動隊』の登場人物たちは
みんな硬派であまり感情を表に出すタイプではないかもしれません。
背中で語る的な。
それゆえ面白いんだけど。
だからこそこの小説版はむしろキャラクター
主にバトーとトグサの心情が中心に書かれていて非常に楽しめました。
映像で描ききれなかったものをこちらに書いたのかもしれませんね。

当然ですがアニメ版、小説版で読み取ったキャラクターの心情に違いがあったとしても
それはどちらも正解だと思います。
映像から読み取ったキャラクターの心理もそれはそれで「自分にとっての正解」だと思いますし
小説版に書かれた監督が意図したであろう心情もそれはそれで正解です。
どちらも知って楽しめる作品だと思います。

ただ映像作品を観ずにこれだけを読むのはちょっと違うかもな
とは思いました。

2011年9月20日火曜日

獣たちの夜 BLOOD THE LAST VAMPIRE


押井守さんの小説です。
アニメ監督なのに文章が素晴らしいです。
と思ってたら小説家を志していたこともあるのだとか。
さすが。

才能ある人は別の分野でも才能を発揮したりしますね。

天は二物を与えずなんて大嘘だ!ちくしょう!

というのは冗談ですが
感性が優れているクリエイターは

何を作るにしても
それを発揮するということでしょうか。


やはり押井氏には学生運動の影響が大きかったようです。
学生運動の描写はやはり体験した人ならではの表現だと感じました。

中~終盤に延々と続く
押井節ともいえる哲学的な会話文

良い意味でも悪い意味でも押井ワールドでした。
苦手な人は苦手かもしれません。

他の押井作品を観たときにも感じることですが
ものすごい知識量です。
こういうのを教養というのでしょうか
もっと勉強しとけばよかったなあと思いました。

とても理屈っぽい文章が続きますが
だからこそアニメ、映像ではなく小説で表現したのではないでしょうか。


好き嫌い別れる作品だとは思いますが
私はそれなりに楽しめました。

角川ホラー文庫から出版されていますが
これはホラーではないと思います。



追記

これはメディアミックス作品なのですね
アニメ映画が存在したのを存じ上げませんでした。
BLOOD+
BLOOD-C
も関連作品なのだとか
ひとつくらいは見てみたいと思います。

2011年9月19日月曜日

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

ちょっと前に読みました。
もう定番の本なので
これといって書くことはないのですが
装丁がとてもカッコイイと思いました。

文庫本の装丁は基本的に気にしないのですが
(多くは古本で買いますし)
これは文庫本なのに非常にカッコイイと思います。


2011年9月10日土曜日

蝿男の恐怖

風呂に入りカラダを洗っているとき
左腕の肩
正確に言うならば三角筋のところから
一本だけ毛が生えているのに気が付きました。
それも産毛というよりも
もっとしっかりとしたもの。

特に害があるわけでもありませんが
周りになにもないのに一本だけ毛が生えているというのは
どこか違和感を感じるので
なんとなく抜いてしまいました。

抜いた瞬間
なんだかデジャブのようなものを感じ
これはなんだろうなあ
とずっとぼんやり考えていたのですが
先ほど気がつきました。

『ザ・フライ』
という映画。
主人公が物質転送装置の実験中にハエが入り込み
ハエと融合してしまい…。
というような映画です。


その中で
ハエと融合してしまったことに気がつかない主人公に
最初に訪れる違和感というのが
一本だけ生える毛
だったのです。
たしか。
ああ怖い。

この映画は捉え方によっては
大人の愛の映画
という風に観れるようですが
私には気持ち悪いオカルトホラー映画にしか観えませんでした。

それ以前は気色の悪い映画も
それなりに大丈夫だと自分では思っていたのですが
この映画を観てその考えを改めました。
特殊メイクがとてもリアルで
少しトラウマになっています。

もう少し人間的に大きくなって
この映画を愛の映画として観れるようになりたいな
なんてふと思いました。
たぶんムリ。

2011年9月3日土曜日

ハーモニー

伊藤計劃『ハーモニー』を読みました。
彼の作品は『虐殺器官』のほうが有名かもしれませんが
私は『ハーモニー』のほうが気に入りました。

直接的には描写されていませんが
虐殺器官で描かれた世界のさらに先の世界を描いた作品です。

大災禍のあとに作られた高度な福祉厚生社会。
誰も病気で死ぬことがなくなった世界。 
そうした世界を伊藤計劃氏が亡くなる前に病床で書いていたと思うと
なんともいたたまれない気持ちになります。

とても素晴らしい作品でした。

『虐殺器官』、『ハーモニー』の二作を読んで感じたのは
面白い設定とリアリティから作られる圧倒的な世界観があれば
特別に豊かな感情描写などがなくても
作品として十分に成立するということです。
勝手に自分の想像でそのへんは補完してしまします。
むしろそれが作品をさらに面白くするような気がします。

巻末の解説にもありましたが
切実なロジックが、キャラクターを介して、切実なエモーションを産み落とす。
その通りかもしれません。


追記: 
ふと思ったのですが
SF要素のある作品を読んで共通して感じるのは
やはり人間の行き着く先は意思の消滅なのでしょうか。
そういう作品が多いうような気がします。 

精神と肉体の分離 → 精神のみによって成立(肉体の消滅)or 個の消失(精神の消滅)?