2011年1月30日日曜日

朗読者

なんだか更新が滞りました。
大学も始まり
すぐにテストやらレポートやらの季節になりました。
テストはいちおう非日常的なイベントでもありますが
結局はここのところ学校と自宅の往復のみで
割と毎日同じことの繰り返しなのです。
繰り返しにならないように生活を心がけたいものですね。
え?就活?



『朗読者』

という小説を読みました。
2008年には『愛を読む人』というタイトルで映画化もされた作品です。
それにしてもなんだか非常に残念な邦題ですね。
(原題はThe Reader)

これは自らの意思で手にとったわけではなく
メディア論という授業の課題です。
そして以下のような問題がテストに出題されました。


※ネタバレ注意です※


<ベルンハルト・シュリンクの小説『朗読者』の主人公のハンナは
なぜ恩赦が決まったのにも関わらず自殺したのか。
メディア論的な観点から自由に論じよ。>


という問題です。


『朗読者』の舞台は第二次大戦後のドイツ。
ミヒャエルの視点で物語は語られます。
ある雨の日、15歳の主人公ミヒャエルは体調が悪くなったところを名も知らぬ女性に助けられます。
その後ミヒャエルは数ヶ月病床に。
彼は回復するとお礼をするためにその女性を探し再会します。
それが36歳のハンナでした。ふたりはほどなく男女の仲になります。
少し経つとハンナはミヒャエルに本の朗読をしてほしいと頼み、それがふたりの習慣になりました。
しかし、ある日ハンナが突然姿を消します。
大学生になったミヒャエルは法律を学んでいました。
ある日ナチスの戦争犯罪に関する裁判を傍聴しに行くと、ハンナが戦争犯罪人として裁かれていました。
彼女は大戦中に強制収容所の看守をしていたことがここで明かされます。
ハンナは裁判の中で彼女が犯した罪よりも重い罪の容疑がかけられますが
彼女は抗弁しようとしません。
ここのでミヒャエルは彼女が「文盲」であることに気がつきます。
文盲であることが発覚するのを恐れた彼女は自らの罪ではない容疑まで認め
無期刑に処されます。
彼女が刑務所に収監されたあとミヒャエルは
『オデュッセイア』をはじめとした本の朗読を録音し彼女に送り続けます。
字を学んだ彼女から手紙は届きますが、彼は一度も返事を返すことはなく
ただひたすらテープを送り続けました。
そして十数年が経ちハンナの恩赦が決まりました。
そこで初めてミヒャエルはハンナに再会します。
彼はハンナの出所に向け様々な準備をしますが
出所の前日ハンナは自殺をしました。
遺書は残されていましたが自殺の理由は書かれていませんでした。


そんなお話。
こうやってまとめるとものすごく薄く見えてしまいますが
それはここのスペースと私の文章力のなさに起因したものですので原作に罪はありません。
僕はとても読み応えのある小説だと感じたので気になる方は手にとってみてください。
オチを知らないほうがきっと楽しめますがw

それでは例の問題です。

<ベルンハルト・シュリンクの小説『朗読者』の主人公のハンナは
なぜ恩赦が決まったのにも関わらず自殺したのか。
メディア論的な観点から自由に論じよ。>

あれ?ハンナ主人公じゃないくね?
という疑問は華麗にスルーしましょう。
きっと先生のかわいい間違いです。

ではハンナはなぜ自殺したのか。
きっと理由はいろいろとあってそれらが重なりあったものだと思います。
だいたい人間ひとつの理由で簡単に自殺なんかしませんよねきっと。
まず考えられるのが
・自分が戦時中に犯した罪の意識・自責の念
・出所したあとの生活の不安
・ミヒャエルとの関係
などなどだと思われますが
どの理由にもプラスして孤独があると思います。
また彼女は出所する前日に首を吊ったわけですから
ミヒャエルとの生活を拒絶したという意味合いも感じられます。

~中断~
んーもっとこう
「きっとこうだろうな」
みたいにいろいろ感じてることはあるのですが
うまく言葉にできません。
~再開~

そしてまた問題に戻ると
<メディア論的な観点から自由に論じよ>
とありますね。

ということはやはり
彼女が文盲であったこと
がキーワードになるかと思います。
というか他にメディア論的な要素はないかと。

自分以外の人の多くが持っているメディアを持っていない
というのはどんな感覚なのでしょうね。
そして
「文字」
というメディアはやはり大きなものだと思います。
文字が分からなければ
本も読めないどころか
切符も買えません(このエピソードもでてきます)
書類に記入もできません(これも
今だったらネットだって満足に使えません。
世界の見え方は確実に変わってくるだろうと思います。

文字メディアというのは
その発信者と受信者の間に直接的な関係がなかったとしても成立し
お互いを繋ぐことができます。
活字メディアなんか象徴的です。
例えば僕とこの作品の筆者と直接面識はありませんが
この作品を通して繋がっているわけです。
また世界中の人がこの作品を通して繋がっています。

しかし声メディアは
発信者と受信者の関係ありきのメディアです。
もちろん共通の言語であれば初対面であっても簡単な意思疎通はできます。
しかしある一定以上の質と量の情報を伝え合うには
お互いの関係性が非常に重要となってくるのです。
文盲の人が声メディアを失う(ハンナでいうと刑務所に入ること?)
というのは世界との関係が切れることと等しいのではないでしょうか。

ちなみに今調べたら世界の識字率は75%だそうな
うーむ。

ただ
ハンナは刑務所の中で新たな人間関係も築いていますし
字の読み書きを身に付け
手紙も書けるようになるし
本も読めるようになっているのです。


ならどうして?


友人のひとりは
「ハンナは文字を読めるようになったことによって逆に孤独を知ったのでは?」
と言っていました。
(文字の世界=発信者と受信者の関係がなくても成り立つ世界だから)
がこれも
「なるほど」とは思いましたが
これだ!
とまでの確信には至りませんでした。


ということで
僕は自分の中でもうまく答えが出せなかったので


この問題は解きませんでしたw


選択問題のひとつだったのでもうひとつの問題を選択しました。


ここまで書いといて何言ってんだハゲ!
と思われるかもしれませんが
しかし

答えは読んだ人の数だけある!
自分で見つけろ!

と書いておきたいと思います。
ごめんなさい。

ただこういう読んだ後のもどかしさ
というかモヤモヤ
って大事だと思います。
夏目漱石の『こころ』に通じるものがあるのでは?
と僕は感じました。

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