2011年2月12日土曜日

ふたつの『1984』

モトローラのタブレットPCのCMが面白かったです。



ご存じの方も多いかと思いますが
これはアップルが1984年に発表したCMに対抗したものです。

アップルのはこちら



このCMどちらも
事前にある程度の知識がないとメッセージがよく分かりません。
僕も大学の授業で教わるまで意味がサッパリ分かりませんでした。


これはそもそも
ウィリアム・ギブスンが書いた
『1984』
というSF小説を引用したものなのです。


簡単にいうと
この『1984』という小説では
1984年におとずれているであろう情報社会は
ビッグブラザーという権力者による監視社会である
という風に描かれています。
つまり情報技術は人々の生活の便利な道具ではなく
権力による統治の道具となっているわけです。

(こう描かれた背景には冷戦の影響が強くあるようです。
「社会主義陣営の未来はこうなるよ」みたいな。)

しかしこのアップルのCMでは
そのビッグブラザー(スクリーンに写ってる人)
をアップルが倒す
というイメージになっています。

ここでのビッグブラザーは
当時のコンピューターのシェアを押さえていたIBMのことを指しています。
(当時IBMは通称『ビッグブルー』と呼ばれてたんだそうな。)

そして最後に浮かび上がるメッセージ

On Junuary 24th,
Apple Computer will
Macintosh.
And you'll see why 1984
Won't be like "1984".


日本語に訳すと

1月24日、
Apple Computer社はMacintoshを発表する。
1984年が『1984年』のようにならない理由がこれで分かるだろう


という感じだと思います。
(ですよね?)

つまり
IBMのコンピューターだと『1984』みたいになっちゃうけど
俺らのマッキントッシュ使えばそうはならないよ

というメッセージです。
なんという自信だw

ただまあこの自信にも根拠があって

IBMのコンピュターの思想はどちらかというと
ひとつの大きなコンピューターがあって
そこにそれぞれの端末でアクセスするみたいなイメージ
中央集権型
だったらしいです。

一方でアップルの思想は
ひとりひとりがコンピューターをもつ
パーソナルコンピュータ
としての考え方が強かったらしいです。
(当時はインターネットもなかった)

ゆえにこういうメッセージになったのでしょう。
支配からの脱却みたいな。

はい。ここまで大学の授業の受け売りでーす。




そして今回のモトローラのCM

大衆はみんな白い服で白いイヤホンをしてますね
これはアップルを指しています。

アップルは何度か危機がありましたが
iPod、iPhone、iPadというデバイスで次々と大成功をおさめ
シェアを広げていきました。
今ではマイクロソフトを超える時価総額となっています。
多数派のWindowsに対抗する少数派Mac
かつてのアップルユーザーは肩身の狭い思いをしてきましたが
気がついたらDAP、スマートフォン、タブレットPCでは圧倒的なシェア
どこに行ってもiPod、iPhoneユーザーだらけです。

また多くの方がご存知の通り
他の製品と互換性のないiTunes
しっかりマージンをとりながらあらゆる音楽、映画、アプリを配信しているiTunes Store
ユーザーとしては一括で使えるのでとても使いやすいというメリットはあるものの
これは一種の支配とも考えられます。

それらに対してモトローラが今回のこのCMで
「お前らがビッグブラザーになってるじゃねえか!」
「みんなそこから解放されようぜ!」
と言ったわけです。
モトローラかっこいい!

時は流れてるんですね。
ジョブズだってココロのどこかで思ってるかもしれません。
「こんなはずではなかった」と。(勝手な想像です)
インディーズで「みんな死ね!」みたいなこと歌ってたバンドが
売れて「みんな愛してる!人類みな兄弟!」と歌い出すみたいな感じですかね。
(たぶんちがう)


ただこの製品がiPadより優れてるかどうかは知りません。
僕はどちらかというとiPadのほうが欲しいです。
おおビッグブラザー!



こういう風にある程度の教養だったり
知性を求められるCMって素晴らしいと思います。
私はアタマがよくないのでこういうこと言える立場ではありませんが。

やはりCMというのはモノを売るためにつくられる作品であるがゆえ
より多くの消費者に伝えるべく誰にでも分かりやすい形で作られるものだと思います。
(逆にこうやって知識のいるモノでブランドイメージを作るという方法もありますが)

しかしながら近頃はCMだけでなく
テレビ番組やらなんやらで
丁寧すぎ
分かりやすくしすぎ
と感じることが多々あります。
逆にバカにされているのではないか
と思うくらい。

もちろん世の中にはいろんな人がいますから
そこに合わせる理由も分かります。
ただやはり
「視聴者のレベルに合わせて作るもの」
とは別に
「視聴者のレベルを引き上げるもの」
もあってもいいのでは?
ひとつの作品として人々を啓蒙する役割があってもいいのではと思ったのでした。


ただ僕もそういったものを求めてばかりいないで
もっと広い意味で勉強して見識を広げねばいけませんね。

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